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代表プロフィール

パーソナリティ

●独自の視点を持ったこだわり派
 ほかの人とは違った視点を持っていて、自分にしかできない方法をとったり、自分にしか言えないことを言ったりします。それをブレずにしっかりした信念や軸を持って行います。

●知的でクールだが、心の中は情熱的
 一見クールにみえますが、心の中には確固たる理想や目標があって、こうなりたいという情熱の炎が燃えています。そんな熱い思いを周りに見せないところが自分なりの美学なのかもしれません。

●よく気がつく細やかさ
 ほかの人が見落とすこともパッと気づくことができます。自分では当たり前のように思うことも、周りの人にとっては当たり前ではないので、難しく思われることがあるかもしれません。

●変化を恐れず、改革にチャレンジ、常に進歩を追求する
 たとえば、いままでこうやってきたからずっとこうしている、という事がよくあると思います。前例でそうしてきたからとか、前任者がそうしていたからとか、ということで何も疑問に思わず同じにやってきたということが。しかしそれでホントに間違いないのか、もっと良いやり方があるんじゃないかと、前例に囚われることなく、改善・進歩を試みます。
 実際の仕事においても、昨年やったより今年はもっと早く上手くやれるようになろうとか、ここをもっと改善してみようとか、ここはオカシイから変えてみようとか、常に進歩・改善を工夫してやっています。

●自分に厳しく、人に優しく

●弱者いじめを許さない




〇家族構成:妻、娘の3人家族です。

出生

1959年6月燕市大曲に青木家の次男として生まれました。
燕市主催の赤ちゃんコンクールで健康優良児に表彰されました。


父は母と共に自宅で洋食器の研磨業を自営していました。
当時燕市は洋食器製造が盛んで、近所でも研磨業を営む家が数多くありました。
燕市が洋食器製造でまさに世界に輸出盛んな時代でした。


父母が働く姿を見ながら、そばで遊んでいた記憶があります。
ナイフやフォークが作られる過程をみて、ものづくりのたいへんさや奥深さを子どもながらに感じていました。

その後、市内の太田保育園に入りました。

両親とも夜遅くまで働く毎日でしたが、研磨業はその後到来したオイルショックを機に廃業することになりました。転職を余儀なくされた両親は相当に苦労したことだろうと推測します。

共働きで一生懸命に働いて、ぼくら兄弟を育ててくれた両親には感謝しかありません。
母は2020年6月、91歳で他界しました。

小学校時代

1966年燕市立大関小学校に入学、1972年卒業しました。

級長を歴任しました。
6年生では児童会長を経験しました。

中学校時代

1972年燕市立小池中学校に入学、1975年卒業しました。

クラス委員長を歴任しました。
2年生では生徒会書記、副会長を経験しました。
3年生では生徒会長を経験しました。

高校時代

1975年新潟県立三条高校に入学、1978年卒業しました。

大学時代

1978年東洋大学法学部法律学科に入学、1982年卒業しました。

世の中は政治と経済と法でウゴイているのではないかと思い、そのなかで、なぜ裁判では判断が分かれることがあるのか、法の仕組みを知りたいと思い、法学部を選びました。

在学中に「宅地建物取引主任者」試験と「行政書士」試験に合格しました。

社会人

1982年東京で就職しました。
同年4月1日板橋区にある帝京大学医学部事務局経理課で働きました。

(同)本部会計課に配転しました。

(同)コンピュータシステム開発室に配転しました。

1991年12月退職しました。

Uターン

1991年東京での仕事を退職し、郷里に戻りました。

1992年9月新潟市内のNSGグループに専門学校教員として就職しました。新潟ビジネス専門学校、新潟公務員法律専門学校で働きました。
後者では法律の知識を活かし、法律系の資格を学生に取得させる学科で学科主任として働きました。多くの学生が宅建資格を取得したり、行政書士資格を取得したりするのをサポートしました。

同年「社会保険労務士」試験に合格しました。

その後、公務員採用試験を目指す学科の学生のサポートもするようになり、多くの教え子が公務員として働いています。

労働運動

職場の長時間労働とサービス残業問題を改善するため、労働組合の必要性を感じ、2006年「NSG職員組合」の発足に参画しました。初代書記長を務めました。

2020年名称を「NSG教職員組合」に改名。第3代執行委員長を務めています。

現在

専門学校嘱託職員

2020年3月末を以って60歳定年しました。翌4月1日から再雇用で嘱託職員として働いています、所属は国際外語・観光・エアライン専門学校。

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